第2話 異世界最初の読者
蒼太がたどり着いたのは、「銀の麦穂亭」という小さな宿屋だった。
財布も身分証明書も持っていない蒼太に、宿屋の主人は冷たい視線を向けた。
「金がないなら泊められないよ」
主人の娘らしい少女が、カウンターの奥から顔を出した。
栗色の髪を三つ編みにした、十四歳くらいの少女だ。
「お父さん、空いている物置ならいいんじゃない?」
「リナ。素性の分からない人間を泊めるものじゃない」
「その代わり、仕事をしてもらえばいいよ」
少女の名前はリナといった。
蒼太は食器洗いと薪割りをする代わりに、一晩だけ泊めてもらえることになった。
仕事を終えたころには、食堂の客も帰り、宿屋は静かになっていた。
リナは、蒼太が持っている白い本を興味深そうに眺めた。
「それ、魔導書?」
「似たようなものかな」
「何の魔法が書いてあるの?」
「物語だよ」
「物語?」
リナは首をかしげた。

この世界に本はある。しかし、そのほとんどは歴史書、法律書、薬草図鑑、魔物の討伐記録だった。
架空の人物や出来事を楽しむための小説は、ほとんど存在しないらしい。
「実際には起きていないことを書くなんて、何の役に立つの?」
その質問に、蒼太は少し考えた。
「行ったことのない場所へ行ける。会ったことのない人に会える。自分とは違う人生を体験できる。それが物語だよ」
蒼太は白紙の本を開き、短い話を書いた。
主人公は、空を飛ぶことに憧れる少女。
少女は何度も失敗するが、最後には小さな竜と友達になり、一緒に雲の上へ旅立つ。
リナは最初こそ不思議そうにしていたが、少しずつ本へ顔を近づけていった。
「この子、次はどうなるの?」
「読めば分かる」
「竜は悪い魔物じゃないの?」
「この物語の竜は、臆病だけど優しいんだ」
リナが最後のページを読み終えた瞬間、白紙の本が輝いた。
《新規読者、一名》
《共感率、八十七パーセント》
《物語具現化を開始します》
食堂の空中に、淡い光でできた少女と小さな竜が現れた。
二人はテーブルの周りを飛び、天井近くまで上昇する。
リナは目を輝かせた。
「すごい……。私、今、本当に空を飛んでいるみたいだった」
その言葉を聞いた瞬間、光の少女と竜がさらに強く輝いた。
蒼太は胸の奥が熱くなるのを感じた。
現実世界では、感想をもらうことすら難しかった。
今、目の前に一人目の読者がいる。
「続きを書いて!」
リナが白紙の本を差し出した。
「明日も仕事を手伝ってくれるなら、宿代はいらない。その代わり、毎晩一話ずつ書いて」
宿屋の主人が奥から現れ、腕を組んだ。
「私も、その竜の続きは少し気になる」
こうして蒼太は、異世界で二人の読者を手に入れた。
小説家としての、最初の一歩だった。
