揺るがない確信
誰かの言葉に確信を抱く時、私たちは、まずその人を大きく信頼しているはずだ。そして、「あなたを信じてるよ。」と言う時、同時に私たちはその人のことを誇りに思っていることだろう。
聖書を読んでいると、思うことがある。旧約聖書の時代、まだイエス様はこの世にはいなかった。神様の存在がまだ見えなかった時代に、神様に対して確信を持つ、というのは相当なことだったはずだ。
しかし、信仰が目に見えない状態で始まる、という意味では、今日にも通じるものがあると思う。私たちは、イエス様を信じることによって、奇跡を経験することはできるものの、残念ながら、イエス様に直接会って対話することは叶わない。では、旧約聖書の物語のように、自分の人生に何が起きても、神様を絶対視することができるだろうか。
クリスチャンなら誰しも、信仰生活の中で、暗闇のような日々を送る時期がある。先が見えないような暗闇の中で、ただ神様を信じる、というのは、容易なことではない。神様から離れてしまうことだってある。けれど、光というのは、暗闇があってこそ、その力強さが際立つものなのだ。だから、私たちの置かれている状況が暗くなればなるほど、神様のいのちの光を隠すことはできなくなる。私たちがイエス様の名を宣言すればするほど、その力が増していくのと同じだ。
今のこの状況も、神様の時間からしたら一瞬だ。だから、もしかしたら、私たちにとっての暗闇は、神様にとって、一過性の雨のようなものなのかもしれない。全てを良いものへ変えてくださる神様だから、きっと、その雨も、美しい景色へと変えてしまうことだろう。雨音が時として心地よいリズムを奏でるように、私たちの暗闇にも、美しさが隠れているのかもしれない。
