み言葉を引用するときに
私たちクリスチャンは、信仰生活において、毎日のように聖書を引用する。み言葉には力があるし、なにより、クリスチャンは、聖書に書かれていることは、全て真実だと信じている。
落ち込んでいたり、人生が思うように行かないとき、友人などから、あるいは、賛美の歌詞からみ言葉を聞くと、励まされるものだ。聖書の言葉は、私たちに希望を与えてくれる。
けれど、時に、私たちは、無意識のうちに、聖書を間違って用いてしまうことがあるようにも思う。自分を肯定し、相手を非難するためにみ言葉を用いてしまった時、その言葉は、危険な武器のように、人の心をとても深く傷つけてしまう。愛を持って相手を正すためならまだしも、すでに罪の意識の中で苦しんでいるような相手に向かって、「聖書に書いてあるのだから、そんなことをしてはいけない」と言って、非難するために聖書を用いてはいけないと思うのだ。
仮に、その人の行動が、罪だとしても、この世に全く罪を犯さない人間などいない。自分の罪を棚に上げて、他人の罪を指摘したり、あれこれ言うのは、間違っているのではないかと思う。
私たちにとって、もっとも恐れるべき事態は、誰かが罪を犯すことではなくて、誰かがイエス様を嫌ってしまうことだと思う。私たちが苦しかった時、イエス様が私たちを赦し、愛してくださったことを忘れてはならない。それに、私たち自身が、誰かの信仰の妨げになってはならないと思う。
私は、ただのクリスチャンなので、正直なところ、それぞれの行為が神様の目にどう見えているのかまではわからない。ただ、私たちが完璧ではないからこそ、イエス様が必要だと信じている。イエス様は、罪人たちと喜んで食事を共にしたお方だ。イエス様に従う限り、私たちには何回でもチャンスが与えられる。私の願いは、誤解や言い争いを生むことではなくて、みんなで愛し合い、助け合い、支え合い、赦し合って、信仰生活を送ることだ。私も、神様の願い通りに聖書を理解し、文章を書いていけるよう、日々神様に祈り求めたい。
