バプテスマ
最近、ヨハネがバプテスマを授け、来たるメシアについて語った聖書箇所を読んでいて、私は、自分がクリスチャンとして、どうあるべきか考えずにはいられなくなった。クリスチャンにとって、イエス様について行くことを宣言するバプテスマは特別なものだ。実際、私は自分がバプテスマを受けたとき、生きた心地がして、生まれ変わった気分になったことをよく覚えている。
3年前、私はいま通っているバイリンガルの教会でバプテスマを受けた。当時の私は、すでに長い間イエス様と人生を歩んでいて、聖書の言葉や物語についても良く知っていた。だけれど、私の信仰は個人的すぎて、教会や人から離れてしまっていた。もちろん、誰かが一人でイエス様を信じる決意をしたのなら、素晴らしいなと思う。だけれど、実際、私たちは仲間が必要だ。当時の私は、トラウマによって心が壊れてしまっていて、長い間人といることを避けていた。だけれど、今振り返ってみて、バプテスマを受けるという決断をして、良かったなと心から思うのだ。
一般的に、人は自分が心地よいと思う場所にとどまりたいと思うものだし、私自身も例外ではない。トラウマを抱えた当時の私は、幸せや喜びを完全に諦めていて、長い間、自分をみじめに思う場所にとどまっていた。私は、そんな孤独な状態をよしとしていたのだ。
教会生活は、山あり谷ありで、私は、いまだに教会に行くことに対し、葛藤することがある。だけれど、私はその時、クリスチャンとして最初のステップを踏むことができて、良かったなと思えている。御言葉に力があるように、信仰を宣言することにも、力があると思う。内側から変わりたいと思う願いは、神様から与えられるものだし、バプテスマは、神様から与えられるギフトだと思う。私は、これから、過去を振り返るのではなくて、一日一日、少しでも神様に近づきたいなと思う。
イエス様は、私たちの模範として地上に現れた。だから、十字架にかけられたイエス様のように、私たちにも大きな苦難が待ち受けているかもしれない。だけれど、もし、あなたがイエス様についていく決意をして、バプテスマを受けるのなら、そのしずくが、変わる決意をしたあなたのリマインダーとなるだろう。変わることは、簡単ではない。だけれど、最後には、その報酬が大きいことが分かるだろう。
