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病気と信仰

川上 咲希
公開日 2026年10月26日
最終更新日 2026年10月26日
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私は、精神的な病気がある。発達障害とうつを患っていて、苦しさを感じながら生活しているが、クリスチャンとして毎週教会に通う中で、どうしても、自分の罪のせいで病気があるのか、自分の病気がいつか治るのかを考え、悩んでしまうことがある。

確かにクリスチャンは、癒しの力を信じているし、実際私も、重い病から癒された人の証しを見聞きしたことだってある。だけれど、同時に、どんなに祈っても癒されず、暗い道を通っているように感じてしまう人は多いように思う。

「癒しを信じるからこそ(それが起こらなくて)辛い」と思ってしまったら、さらに苦しい。神様を信じ、従うことに試練はつきものだけれど、信仰には自由や喜びがあってこそだと思うから。

完全な癒しや奇跡を信じ、それが実現したら、素晴らしい。だけれど、私は、祈る中で、完全な癒しだけを祈り、日々落胆する暮らしを辞めようと思った。これからは、病気という経験がいつか益となること、また、神様への信頼が増し加わって、病気の存在がどうでもよくなる日が来ることを祈りたいと思うのだ。神様との旅路を楽しみ、神様にどんどん近づいて、あらゆる全ての問題がどうでもよくなったとしたら、それは、病気の完全な癒しよりも大きな祝福なのではないかと思う。

例えば、辛い状況の中でひたむきに努力し続けている人がいたら、そのひたむきな姿勢に多くの人が励まされるように、もし私が、気持ちの上で病気に負けず、支配されずに生きるなら、そのプロセスに励まされる人がいるのではないか。そういった信仰こそ、神様に喜ばれるのではないか、と思う。

もちろん、病気の完全な癒しを否定しているわけではない。神様には、全てのことが可能だ。でも、だからこそ、そんな全能の主に、病気について委ねたいなと思う。それに、私が病気であることで出会えた人、励ませる相手がいたとしたら、それも神様のご計画だと信じ、誠実でありたい。あらゆる癒しは、神様との関係から来る。そう信じて、今日も、聖書を読み、祈っていたい。