本作は、某寺境内の地蔵群に供えられた花を撮り集めた写真集である。
子供の頃から双極性障害を患っている私は、常に死を意識して生きてきた。撮影は2017年、その頃の私には強い希死念慮が纏わりついていた。何のために生きているのか分からなかった。それを拭うため、花たちの撮影を「生きる目的」として自ら設定した。週に1回以上撮ることを課し、1年間、計84回の撮影をこなした。
仏は、供えられた花が咲き誇りやがて枯れゆく姿を借り、人々に向けて生と死を様々に語る。ここでの花は、単に花であるだけでなく、人と言葉を交わす仏の代弁者であり、見る人自身を映す鏡でもある。花たちの言葉、花との会話を写真に浮かび上げることが私の使命だった。そしてあたかも詩集を編むように、そんな花たちの言の葉を集めて写真集を編んだ。
寺山修司曰く、「ぼくは不完全な死体として生まれ、何十年かかゝって完全な死体となるのである」。人は、生を受けたら必ず死を迎える。茎を切断され、死を約束された花。生と死の併存する寺院で、生と死をつなぐ花。生きがいのある日々と安らかな死を願う人々によって供えられた花。やがて来る死を受け入れながらも強く生きることの美しさ。時に優しく時に痛々しく、時に力強くも艶めかしい花たちの姿をご高覧ください。